難病もりこの海外生活ブログ

難病になって10年。 薬を飲まずに改善。妊娠出産を経てオーストラリアに移住。病気をしてから変わった事やオーストラリアでの生活を綴ります。

難病 大動脈炎症候群になったきっかけ

こんにちは。もりこです。

 

そういえば難病になったきっかけは話してなかったと思い、あの頃を振り返ってみようとおもいます。

 

多分難病になったのは10年前です。

発症した頃はオーストラリアに住んでいました。

 

今思うと少し前から身体はSOSを出していたのに気づいていませんでした。

 

発症する一年位前からいきなり片足のくるぶし辺りが腫れて靴が履けない状態が続いていました。

 

オーストラリアは日本と病院の形態が違います。

 

まず町医者GPと言うところに診察しに行きそこで手に負えない専門的な病気は紹介状を書いてもらって専門医に初めて受診出来ます。

 

なので日本でいう皮膚科や産婦人科、耳鼻科もこのGPという内科みたいなところで診てもらうのです。

私もGPに何軒か行きましたが、原因が分からない状態でした。

一応薬はくれるものの腫れは引かない。

 

色んな友達からの情報を聞いては病院に行く日々が続きました。

 

最後に行った病院で、もしかしたら喉にある溶連菌の仕業かも知れないと言われその薬を飲んだら劇的に治りました。

 

しかし、その後もスネに赤い腫れ物が出来るものの1つや2つだったのであまり気にしてませんでした。

 

後で知ったのですが、それは結節性紅斑と言うもので、これも難病の一種でした。

 

それから半年から一年経った頃でしょうか。

 

いきなり高熱が続きました。

冬なのに寝汗がひどく朝は熱が下がるけど昼過ぎには高熱に。口内炎もいっぱい出来ていました。食欲があったものの熱は下がりませんでした。

 

最初は風邪と思い病院で薬をもらって飲むが何日も治らず。

 

血液検査をすると異常な程色んな数値が高くて先生もお手上げ状態でした。

 

日本でも病院で難しい事を言われるとちんぷんかんぷんなのに、英語だと尚更。

不安になり高熱が出てる状態で日本に帰りました。

 

すぐさま近所の病院で紹介状を書いてもらい総合病院へ。

 

検査入院を1週間しました。

 

その際にCT検査をしたものの、よく分からないとの事だったので、保険が効かないPET CTを受けました。

 

その結果難病の高安病、又の名を大動脈炎症候群と診断されました。

 

初めて聞く病名。難病。この先私はどうなってしまうのか?何で私が難病になるのか?

頭の中で色んな事がグルグルしました。

 

その時には結婚していたので子供も産めるのか不安になりましたが、その時は先生に恥ずかしくて聞けなかった事を覚えてます。

 

それから病気を調べる日々が続きました。