難病もりこの海外生活ブログ

難病になって10年。 薬を飲まずに改善。妊娠出産を経てオーストラリアに移住。病気をしてから変わった事やオーストラリアでの生活を綴ります。

ワーキングホリデーから永住権を取るまで      ②学生時代

こんにちは。もりこです。

 

前回はワーキングホリデー時代の話をしました。

今日はその後の学生時代です。

 

私はワーキングホリデーが終わる頃、自分の中で問いかけました。

「約1年何を得たか?」

学校に行ったりシェアメイトとコミュニケーションを取って前よりは、英語は話せるようになった。というよりは、英語という環境に慣れてきた。

でも、それ以上に何を得たのか?何か実践はしたのか?

 

 

答えは大した物は得てない・・・

 

 

そう気づいたんです。

 

 

はっきり言ってワーホリに1年行っただけで英語力に満足して日本に帰国する人なんていません!

 

私は焦りました。このままじゃ胸を張って日本に帰れない。

少しは話せるようになった英語力で何かを試したいと。。。

 

現地の留学エージェントに行って相談しました。

何か勉強をして何かを得たいと。

そのときに色んな学校を紹介してもらいました。

 

留学エージェントって、大金叩いた割には使えないという声を結構聞きますが、留学でのホームステイや、学校手続きなどはある程度やってはくれますが、一から十まで手助けをしてくれるわけじゃありません。そこが皆さん勘違いなんです。

 

そんな、手取り足取りお手伝いしてくれたら留学した意味はありません。ほどよく力を借りながら自分でも試行錯誤して手続き等をするのが、海外生活で自分のメンタル面等を強くするチャンスなのです。自分でも努力は必要です。留学エージェントは程良い手助けをする位だと思うのが賢明ですね。

 

ワーキングホリデービザから学生ビザに変えることは、簡単でした。

学校に入学証書を移民局に提出して、申請代300ドル位(こちらの値段は年々上がっていきます)を払って、ビザを更新しました。

 

こう言う手続きも自分で移民局に出向いてやるので、良い経験になりました。

 

その中で一番興味を持った学校がエステの学校でした。

コースによって取れる称号と期間が違い、私はサティフィケートⅣという1年間のコースに申し込みとました。(専門学校ではディプロマというのが一番上、その次がサティフィケートⅣです)

金額は日本円で約100万円。

そんなお金は無いので親にお願いをし、借金をして通いました。

その頃にはバイトもしていたので、生活費はなんとかそれでしのいでいました。

 

その当時、その学校は日本人が少なく、ほぼ現地の子たちに混じって勉強をしました。

エステの学校は、実践授業以外に骨学、筋肉学、神経学と言った専門の事も勉強しました。日本語でさえ難しい専門用語にとても苦戦しました。

 

毎週のようにテスト。全体の60パーセント以上正解しないと再テスト。

日本人だったので辞書を使うことを許されていましたが、あの頃は本当につらかったです。辞書を使って日本語に訳しても意味が無いので、そのまま暗記してました。

実践では器用な方だったのでテストは落ちたことありませんでしたが、筆記テストでは何回も落ちました。

 

アジア人の肌と欧米人の肌質はとても違ったり、先生に対する接し方も日本よりフランクな感じだったりと、またここで色々違いが見れて面白かったです。

 

後半には日本人の生徒も増えてきて楽しかったです。

卒業パーティーにはカジノホテルでパーティー。

皆正装して華やかでした。

 

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学校を卒業する頃にまた新たな人生の岐点に立たされたのです。