難病もりこの海外生活ブログ

難病になって10年。 薬を飲まずに改善。妊娠出産を経てオーストラリアに移住。病気をしてから変わった事やオーストラリアでの生活を綴ります。

難病と薬を飲まずに向き合う方法

こんにちは。もりこです。

 

難病を発症してから約10年。

一度も薬は飲んだ事ありません。

 

今は普通の健康体の人と同じ生活をして、出産育児もしてます。

 

発症してから何をしていたか?

 

先ずは難病になったきっかけを考えました。

 

 

原因があるから病気になる。

 

病気は精神的ストレスも関係する。

 

それを知ってから今までの自分を見つめ直しました。

 

病気を発症した前後はオーストラリアの永住権を申請していて、いつ受理されるか不安な毎日だったと思います。ストレスもかなり溜まっていたでしょう。

 

食生活はスイーツ大好き。小麦粉商品大好き。

自炊はしてましたが、たまに暴飲暴食気味だったので偏った食生活だったと思います。

 

運動はたまにウォーキングはしていました。

 

それに結婚はしていたものの、永住権を持っていないと医療費が高額だった為、妊娠をしないように避妊ピルも飲んでいました。

 

それに鼻炎が酷く小さい頃から強い薬を飲んでました。

 

こういったことが自分の免疫力を弱めて病気を引き起こしたのだと思います。

 

病気中は健康食品系も試しました。

これが良いと言われれば手を出してましたね。

 

でも持論は体の細胞を綺麗にしてストレスを溜めなければ病気は良くなると思い込んでました。

 

発病から半年近くは昼過ぎになると熱が出てだるくて眠くて昼寝をしないと身体が夜まで持ちませんでした。

 

しかし、半年過ぎから一年未満には熱も下がりだるさも消えて夜遊びも出来るようにまで体力が回復したんです。

食欲も戻り、病気中は痩せてた体重も元に戻るように。

 

汚い話ですが、ウンチも病気中は黒っぽかったのですがそれも正常な色に。

 

あんなに毎日がだるかったのが嘘のようでした。

 

一年を過ぎ病院でCT検査をしたら炎症していた部分がなくなっていて、血液検査も全て正常に戻っていました。

 

先生はビックリ!

健康食品やお水を変えたり色んなことをしたからかなと聞いたらそんなことで病気は治らないと否定的でした。

 

しかし、発症時に狭窄した鎖骨下動脈はそのままの状態だったので、先生曰く薬を飲んでいたらこの狭窄はならなかったかもしれないから一概に飲まなくて良かったとは言えないと言われました。

それでも病気は再燃する事があるのでまた一年後に検査に来てくださいと言われました。

 

私が思うに病気を発症すると大概の人は薬を飲むと思います。

ましてや難病。

原因が分からないと言われると医者に頼りきりになると思います。

薬を飲まずに改善される症例が先生は持ってなかったのでしょう。

 

自分の身体は誰よりも自分が知っています。

 

難病に限らず色んな病気も必ず原因があるのです。

 

風邪をひいたならあの時薄着で出かけてずっと寒かったからかな?とか、疲れが取れないまま無理をしたからかな?とか自分の過去を少し振り返ると思い当たる原因があります。

 

それを見直して寒さで風邪をひいたなら、暖かい飲み物やお風呂に入ってゆっくりするとか自分なりの対処法があります。

 

最近は何かいつもと違ったら医者に頼る人が多いと思います。

 

医者は患者を見て5秒で病名を決めると言うのを聞きました。

患者の生活スタイルを探ってまで病気の原因を探る先生なんていないのです。

 

そんな先生に全てを委ねて言われた薬を飲んだり塗ったりするのって怖くないですか?

 

難病になった事で自分を見つめ直すきっかけを神様がくれたと思って今を生きてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難病 大動脈炎症候群になってから

こんにちは。もりこです。

 

難病 大動脈炎症候群になっても薬を飲まなかった理由は、薬では治らないと判断したからです。

 

病名を言われてから色々と自分なりに勉強しました。

 

大動脈炎症候群は字の如く大動脈に炎症が起き次第に動脈が狭窄して最後には壊死してしまう病気です。

 

これが心臓付近の動脈なら心臓は止まります。

バイパス手術などで動脈を繋げたりするそうです。

 

あとは腕の動脈が狭窄してくると腕が上げにくかったりするらしく、ネットでは布団が上げづらいとか書いてありました。

 

しかしこれは、毛細血管を増やす事で動脈が狭窄しても毛細血管が動脈の役割を果たしてくれるらしいです。

 

先生に

 

一生治らないから病気と仲良くしていこう。

特定疾患だから国に援助してもらえる。

美人の人がなりやすいんだよ。

 

と言われました。

 

先生なりに励ましてくれたんですかね。

 

何も心には響きませんでした。

 

本屋に行って大動脈炎症候群の本を読んだりネットでもいっぱい検索しました。

 

どこでも原因不明と書いてあり、薬を飲んでも症状を悪化させないだけで完治はしない。

でも薬はステロイドなど強いものなので副作用に悩まされたり合併症を引きやすいと書いてありました。

 

薬を飲むのに治らない。

副作用に悩む日々が続く。

 

これって飲む意味があるの?

 

発症して一カ月近く経っても一向に高熱は続いていました。

 

それでも薬は飲みたくない!!

 

ただそれだけの理由で先生に薬を飲まないと断言しました。

 

うちの親も私の意見に同感してくれました。

 

先生は困惑しましたが、私の意思を尊重してくれて、年に一回のCT検査をする約束で、万が一心臓付近の動脈に炎症が起きたらその時は強制的に薬は飲ませるからという事で飲まない事を承諾してくれました。

 

それからと言うものどうやったら病気は改善されるのか調べる日々が続きました。

 

 

 

 

難病 大動脈炎症候群になったきっかけ

こんにちは。もりこです。

 

そういえば難病になったきっかけは話してなかったと思い、あの頃を振り返ってみようとおもいます。

 

多分難病になったのは10年前です。

発症した頃はオーストラリアに住んでいました。

 

今思うと少し前から身体はSOSを出していたのに気づいていませんでした。

 

発症する一年位前からいきなり片足のくるぶし辺りが腫れて靴が履けない状態が続いていました。

 

オーストラリアは日本と病院の形態が違います。

 

まず町医者GPと言うところに診察しに行きそこで手に負えない専門的な病気は紹介状を書いてもらって専門医に初めて受診出来ます。

 

なので日本でいう皮膚科や産婦人科、耳鼻科もこのGPという内科みたいなところで診てもらうのです。

私もGPに何軒か行きましたが、原因が分からない状態でした。

一応薬はくれるものの腫れは引かない。

 

色んな友達からの情報を聞いては病院に行く日々が続きました。

 

最後に行った病院で、もしかしたら喉にある溶連菌の仕業かも知れないと言われその薬を飲んだら劇的に治りました。

 

しかし、その後もスネに赤い腫れ物が出来るものの1つや2つだったのであまり気にしてませんでした。

 

後で知ったのですが、それは結節性紅斑と言うもので、これも難病の一種でした。

 

それから半年から一年経った頃でしょうか。

 

いきなり高熱が続きました。

冬なのに寝汗がひどく朝は熱が下がるけど昼過ぎには高熱に。口内炎もいっぱい出来ていました。食欲があったものの熱は下がりませんでした。

 

最初は風邪と思い病院で薬をもらって飲むが何日も治らず。

 

血液検査をすると異常な程色んな数値が高くて先生もお手上げ状態でした。

 

日本でも病院で難しい事を言われるとちんぷんかんぷんなのに、英語だと尚更。

不安になり高熱が出てる状態で日本に帰りました。

 

すぐさま近所の病院で紹介状を書いてもらい総合病院へ。

 

検査入院を1週間しました。

 

その際にCT検査をしたものの、よく分からないとの事だったので、保険が効かないPET CTを受けました。

 

その結果難病の高安病、又の名を大動脈炎症候群と診断されました。

 

初めて聞く病名。難病。この先私はどうなってしまうのか?何で私が難病になるのか?

頭の中で色んな事がグルグルしました。

 

その時には結婚していたので子供も産めるのか不安になりましたが、その時は先生に恥ずかしくて聞けなかった事を覚えてます。

 

それから病気を調べる日々が続きました。

一歳3ヶ月子供の成長 どうすれば早く成長するか?

こんにちは。もりこです。

 

子供が一歳3ヶ月になりました。

 

うちの子供は他の子供と比べるとはるかに成長が早いです。

 

どうすれば成長が早く発達したのか?

何をこれからしていけば良いのか私の持論ですが記して行きたいと思います。

 

先ず一般の一歳3ヶ月の成長

 

アンヨが上達して危なっかしいけど1人で歩けるようになる。

 

パパ、ママ、ワンワンが言えて指をさせるようになる。

 

一人遊びが出来るようになる。

 

体を動かしてリズムに乗る。

 

食事は完了期に入る。

 

個人差はありますがこのような事が出来るらしいです。

 

うちの子供

 

一歳を直前に歩けるようになる。

今は小走り。安定感もあり階段の登り降りができる。

 

車やスケボーにまたがって安定感を持ち遊べるようになる。

 

これは歩けるようになると共に、ソファやベッドでどうやって登り降り出来るかを教えました。それと同時に階段の登り降りも教えてなるべく自分でやる意思を尊重する。

本当に転びそうになる時だけ助ける。

 

パパ、ママ、ニャンニャンと呼ぶ。

ばーちゃんは誰かもわかってます。

 

「パパー」と叫びながら階段を登って主人を起こしに行きます。

 

ヒーターをつけて、ドアを開けて、閉めてと頼むとやってくれる。

 

車や電車のオモチャで一人遊びをしながら「ブーブー」と走らせて遊ぶ。

 

トーマスに興味を持つ。

お店でオモチャを買ってあげると自ら店員にオモチャを渡す。

 

ご飯を食べる時はエプロンを自ら持ってきて付けるように頼んでくる。

 

朝起きると主人のメガネを持ってきてくれます。

 

歯を磨きに行くよ、お風呂はいるよと言うと自分から洗面所に行きます。

 

歯を磨き終えるといーとして歯を見せてくれます。

 

だいたいこう言った行動が出来るのが一歳半くらいだそうです。

 

うちはとにかく子供だからといってやらせる事を制限しません。

 

誰でも初めての事は失敗します。

それを踏まえて何でもやらせるようにする。

出来なくても最初は手助けせず、最終手段で手助け。

 

好奇心を潰さないように怒らない。

 

まだこの時期は事の善悪は分かりません。

 

叱る時は本当に危ない時だけ。

 

自由に行動をさせるとことによって自立心はこの頃から出来てると思います。

 

それと一番大事だと思うのは色んな人と接してあげる事。

そうすると好奇心も生まれるし、人見知りしない。言葉も早く覚える気がします。

 

それとお父さんが子供を外に連れ出す。

これも大事だと思います。

 

うちは特に男の子なので激しい遊びが大好き。

 

お母さんがやる遊びとお父さんの遊び方は違います。

 

最初はお父さんに遊ばせるのは危なっかしいと思うかもしれませんが、そこは我慢して遊びに行かせるとすごく成長して帰ってきます。

 

 

うちの子は既に銭湯デビューもして、色んな人がいても楽しくお風呂に入れるようになりました。

 

あくまで私の教育過程ですが参考にしてもらえたら嬉しいです。

 

f:id:jumping2the4:20180208150035j:image

 

 

 

 

 

 

インフルエンザになりながらの子育て

こんにちは。もりこです。

 

先日不覚にもインフルエンザになってしまいました。

 

インフルエンザになる数日前に外で食べたかき揚げにあたり、その日から胃が痛くてあまり物が食べれない状態が続いていました。

その矢先に外からインフルエンザをもらってきてしまいました。

 

朝から寒気がし、熱を計ると38.3度。

夜になっても下がらず念の為旦那と子供は別の部屋へ。

 

次の日37.2度まで下がるも病院へ行くとインフルエンザB型でした。

 

病院で特別なマスクを三枚買わされ、イナビルという吸引式の薬を2つもらいました。

 

f:id:jumping2the4:20180201104355j:image

 

こちらを吸って寝ると熱は下がりました。

 

次の日には完璧に熱は下がったものの発症してから5日間は外出禁止と先生に言われたので1人大人しく部屋で過ごしてました。

 

その間は義母と旦那に協力してもらい、極力子供とは距離を置きました。

 

お風呂も以前は私じゃないと泣いてたのに、この間は旦那でも泣かず、違う部屋で寝るのにも泣かず、私に会えなくても泣かずのとても良い子に過ごしてくれて大助かり。

 

子供も母親に会えない理由を何となく察しているかのようにとても良い子でびっくりしました。

 

これもまた、断乳に成功していたおかげでもあります。

 

授乳中の出来事だったらこんな簡単にはいかなかったと思います。

 

本当に断乳は大変ですがやってよかったと再確認しました。

 

やはり、体調回復には睡眠が大事。

お風呂も体力を消耗するので極力はいらないことが早く元気になる秘訣だと思います。

 

今回のインフルエンザは熱と寒気のみでした。

食欲もなかったものの今はすっかり元どおり。

 

日頃の食べ過ぎや、寝不足が病気を引き起こします。

 

これを機に体調管理をしっかりしていきたいです。

 

 

断乳成功は12日間

こんにちは。もりこです。

 

断乳が12日間で成功を感じたのは旦那と一緒に朝まで寝てくれた事です。

それ以降も旦那が簡単に寝かしつけをしてくれて一緒に寝てくれる機会がとても増えました。

 

息子も日に日にオッパイの執着がなくなって来たのがわかり、次第に寝かしつけも簡単に。


私と寝るときも胸の上で抱っこしてトントンするとあっという間に夢の中へ。
夜中一瞬起きるも私にくっついたらまたすぐ寝るようになりました。


朝までぐっすり寝てくれる事で起きる時間が早くなりました。

 

オッパイケアは…

断乳10日目に搾乳し、オッパイを全て出し切りました。

 

断乳15日経った今も搾乳すると少し出ますが張りはなくなりました。

 

オッパイのケアは2ヶ月かかるそうで、10日以降は1ヶ月後、2ヶ月後に搾乳し終了みたいです。

 

これを怠ると乳腺炎になったり、しこりが出来たり、2人目のオッパイが出にくくなるそうです。

 

断乳3日間はとにかく痛くて寝るのもままならなかったですが今は痛くなくなりました。
もうオッパイが作られてないと実感できます。

 

それと同時に断乳14日目に子宮がキューっと痛くなりました。妊娠してから来てなかった生理が近々来る予感です。

 

断乳成功して変わった事は…

 

大体21時前後に寝て朝は6時前後に起きるという習慣がついてきました。

 

寝かしつけがとても簡単に。お昼寝も少し愚図りますが前よりも一人で寝れる時間が増えた事。

 

自己主張が強くなった。

 

食欲旺盛。水分も自ら飲んでくれるように。

 

母親も朝までぐっすり寝れらようになった。

 

良い事だらけです。

断乳は子供のストレスがかかるのでオススメしない方もいますが私はやって良かったと思います。

 

今回初めての断乳をして思った事

 

子供の性格によって断乳成功の日数は違うこと。

 

私の友達は1ヶ月経った今でも断乳前と変わらず夜中何度も起きるそうです。

 

ですが、いつかは乳ばなれする日が来ると思うので根気よくやることと、甘えが強くなるのでスキンシップを頻繁にしてあげる事だと思います。

 

f:id:jumping2the4:20180114121501j:image

 

 

 

 

子供が煙草の吸い殻を食べてしまった時

こんにちは。もりこです。

 

先日子供がタバコの吸い殻を食べてしまい救急車を呼びました。

 

お昼ご飯を食べさせて後片付けをしているとキッチンのドアを開けてダイニングに一人で行ってしまいました。

 

ダイニングテーブルに灰皿が置いてあったのですが、高いテーブルだったのでまさかと思いきやそこから吸い殻を取ってたのです。

 

それを口に加えて私の所にやってきた時は絶叫しました。

 

急いで口に入ってるものを取り出し、水で口を洗いました。

 

それから急いで救急車を呼びました。

 

最近は些細なことでも救急車を呼ぶと批判的な話をよく聞くので一瞬躊躇しました。

 

先ずは小児相談に電話した方が良いのか悩みましたが、タバコを食べたことによる害がどんな感じで出るのかも分からないし、一刻を争うのかも分からなかったのでとりあえず119を。

 

しばらくして救急車がきて、保険証を持って救急車に乗ってくださいと言われて近くの病院に運ばれました。

 

その間どれくらいの量を食べたのかを聞かれ、ほとんど口に入ってたものは吐き出させた事、水で洗ったことを伝えました。

 

救急隊の人曰く、水を含むとニコチンが有害になるそうです。

 

もし大量に摂取した場合、グッタリしたら吐き出したりするらしく息子にはその症状は出ていませんでした。

 

病院につき手続きを終えて順番を待ちました。

 

状況的に緊急を要してるわけではなかったらしく普通に待たされました。

 

待ってから20分後位に呼ばれ診察室へ。

 

何時に摂取したのか?どんな状況だったかを説明。

 

結果として、大量摂取した場合、拒絶反応で吐き出すとのこと。

グッタリしてるとかなく、元気そうなので様子を見ましょうと言われました。

 

摂取後4時間何も起きなければ問題ないそうです。

 

1本飲んだとしてもそこまで悪影響はなく、タバコの吸い殻が溜まった汁や何本も食べると体に害があるとの事でした。

 

主人がタバコを吸うのでタバコは気をつけてたつもりだったのですがまさか現実になってしまったとは。

 

本当に子供に可哀想なことをしてしまいました。

 

主人はヘビースモーカーだったのですが、今回の事件で禁煙する事を決めてくれて、何事もなかったのである意味良かったのかもしれません。

 

お医者さんに防げる事なので親が気をつけてあげましょうと言われました。

 

夫婦共々とても反省した出来事でした。